MAGIC / NOWHERE MAGIC / NOWHERE
マジック「ノーホェア」

¥3,000(廃盤)

MECR-30016 (meldac)

1.take two
2.ブラッディ・マリーの夜
3.セカンド・チャンス
4.C-Boy Blue
5.OH! SHIT!
6.Still…
7.one (K) night
8.ジェニー
9.TOPS AND BOTTOMS
10.SEASIDE WALK
MAGIC / NOWHERE

 

レコーディング使用機材

1958年 グレッチ 6120
フェンダー テレキャスター
バイン バンジョー
アリア マンドリン
タカミネ エレアコ
1959年 フェンダー ベースマン・リイシュー

ファースト・アルバムが発売されたと思ったらもうセカンド・アルバム用のレコーディングなんて状況。当時ほとんどのオリジナル曲は片っ端からファーストに入れたから曲のストックが無い。しかもメンバーや事務所、レコード会社のディレクターに新曲を聴かせる「曲出し」までに十分な時間も無いときた。そう、ここから俺の産みの苦しみが始まったのだ。当時の作曲方法といえば何のノウハウも無く、行き当たりばったりの気分次第でメロディーが上下するという有様。それでもファーストまでは時間があったから曲を直したりアレンジしてなんとかカタチに出来た。今回はとにかく時間が無い。そこで曲作りとアレンジをつめるために千葉合宿に行った。宿泊は2段ベッドがある部屋で食事付き、すぐ隣はスタジオで目の前は海という素晴らしい環境。で、朝からメンバー個々にスタジオに入ってウンウン唸ってメロディーをひねりだすのだ。良いモチーフが浮かんだらそれに肉付けしてカタチにしていく。シーズン・オフだからマジックのメンバー以外に人はいないし、とにかく合宿中のファッションはだらしない。(笑)裸足でスタジオを歩いたり寝転がってたら、そこで初めてダニの攻撃を食らった。最初は蚊に集中的にヤラレたのかと勘違いしてたけど、後日それがダニだと知るのだ。そのスタジオには2週間くらい居たのかな?最後の方はみんな無精ヒゲですっかり「地元の青年団」、そんなルックスに変身してたよ。そして東京に戻ってきたら間もなくレコーディングに突入したんだけど、結局全ての準備が整わないままにレコーディング・スタジオに入っちゃった。スタジオは当時代々木にあったレコード会社のスタジオ。ハードなスケジュールのレコに備えて俺はウィークリー・マンションに入る事になった。それもそのはず、曲は未完成の曲もあってスタジオでアレンジしたり、作曲したり・・・それはもう過酷なレコ。その間、俺のわがままを聞いてもらって唯一休みをもらった日にライブを観に行ったんだよね。今思い出しても衝撃的だったそのアーティストはアルバート・リー。丁度その頃カントリー・ギターにハマってた俺にはまさにタイムリーでね。興奮したし、目一杯刺激も受けたし、ライブが終わるとその足でスタジオに寄ってインストを作ったんだ。それが「take two」。あのライブに行かなかったら絶対生まれなかったよ。ブルーグラス風の「C-Boy Blue」もレコ直前に買ったマンドリンを録音直前まで練習してから録音。バンジョーも同様。まるで一夜漬けの試験勉強方式のレコ。なにしろ、作曲とアレンジと録音が同時進行で進んで行くという恐ろしいスケジュール。疲労と睡眠不足で手のひらの皮がヒビ割れてきたり(ビタミン不足!?)、風邪でダウンしたり・・・この時が俺のレコーディング史上で最も過酷なレコだったなぁ〜。で、そのときのエンジニアがしょっちゅうビタミンCの源末をパクっと口に入れてたのね。不思議に思って訊いてみると、「音を聴くとビタミンCが欠乏する」って教えてくれたんだよ。ホントかね!?けど、それ以降ビタミンCの源末はしばらくレコーディングの必需品だったね。タバコもビタミン欠乏の原因だからこのレコを境に軽くしてみたり。(笑)
録音に使ったギターは合宿前にゲットした1958年6120。あのギターは57年以前の6120みたいなデカいヘッドとアンバー・レッドのボディーがカッコ良かった!でもサウンドが上品すぎてその後手放しちゃったんだよね。アンプはその頃発売されたフェンダー1959年ベースマンのリイシュー。あれは確かシリアルが400番台だったと思う。ギターとアンプは直。6120をブスッとベースマンに挿しただけの男気あふれるセット・アップ。ってか当時、エコーはミックスの時に使うもんなのかなぁ〜なんて勝手に思ってただけなんだけど。しかもアンプもライブで数回使っただけのほぼ新品同様の状態。そんなんで良い音するワケ無いよ・・・知識が無いってことは恐ろしい。(笑)

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